3月13日 (水)
ミノンは鍼治療を辞めてレーザー治療だけに................
鍼を刺すとき、悲鳴をあげるミノンを見るのは私もストレスだったので、昨日は軽い気持ちでC先生の病院に連れて行きました。
が.....................
ミノンにとっては、全然軽くなく(-_-;)(-_-;)
レーザーをして下さる看護師さんの事をチラチラ見て、ずっとガタガタと震え続けていました。それゃそうだ。
ミノンはここでは痛い事ををされると、ちゃんと学習しているのだから・・・・・・・
C先生のところでは、毎回直腸体温を測って下さいます。それ自体もミノンにとっては苦痛だったので、昨日はそれもなく
ミノンの頭の中は『あれ??』『あれ??』って感じでだったのでしょう。
いつ、体温計を刺されるのだろう??? いつ鍼をさされるのだろう???と恐怖との闘いだったのでしょうね。
治療が終わってバッグに入れるとすぐに震えは止まりました。
鍼治療に比べて治療時間も短くなったけど、隙あらば逃げようとする態度が見られたミノン。このままずっと治療を続けて頂けるか、雲行きが怪しい気がします。
治療の成果があるのか無いのかもわからないのに、ミノンにとってのストレスの方が心臓に悪影響があるような.................
麻痺の原因が明らかにならない事には、治療も難しいのだと実感しています。
脚が使えなくなって寝たきりで、長生きするのと
脚が悪いながらも自分の脚で歩いている時間が長く、自分でご飯を食べたり排泄が出来る時間が長いのだけど、結果寿命が短くなる。
とどちらがミノンにとって幸せなんだろう??
って考えた時、後者を選んだ私は間違いなのだろうか???ふとそんな事を考えて何が正解かわからなくなってしまうのです。
一日でも長く生きていて欲しいと思う気持ちと脚の治療は相反する事なんだろうな〜〜〜。
高齢犬になって、正解が出ない難題や壁にぶつかり続けているような気がします。
飼い主が落ち込んでいたり、心配しすぎるとワンちゃんに伝わるからと良く注意を受けます。頭ではきちんと分かっているのだけど
治療が空振りに終わり、+ミノンに痛みやストレスだけ与えて終わってしまうと、本当に落ち込んでしまいます。
昨夜は疲れすぎたのか、カリカリフードを半分しか食べなかったミノンでしたが、今朝は時間はかかったけど全部食べれました。
偉いね〜〜〜ミノン🐶。お利口さんだね〜〜〜ミノン🐶
暖かくなってきたから、抱っこバッグでお散歩に行こうね〜〜〜
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ミノンの鍼治療は、残念ながら良い効果が出ない結果となりましたが、悪い事ばかりではなかったと思います。
C先生は時間をかけてミノンの体を触って下さいますし、家で出来るマッサージの方法も教えて下さいました。
家でも毎日1回は、教えて頂いたマッサージをしてミノンの身体を触りまくっていました。
そんなある日の夜・・・・・・・・・・・・・・・・
首のあたりをマッサージしていると、指のはらに違和感を感じました。
脊髄腫瘍の手術後、ずっと首の毛が生えず諦めていたのに去年の11月くらいから急に毛が生え始めるという奇跡のミノンの毛は、
禿げていたのが嘘のようにふさふさもふもふに現在は毛が生えそろいました。
なので、皮膚が見えないのです。剛毛の毛をかきわけ、皮膚までたどり着くと、そこにはかさぶたが・・・・・・・・・・・・
まさか鍼治療で出血したのか???っとよ〜く観察すると、見覚えがある形状の皮膚状態。
『あっ!! マラセチア皮膚炎の初期症状だ」
抵抗力が落ちた時、悪さをし始めるミノンのマラセチア菌。一日の気温差が激しく、ストレスも重なってまた悪さをし始めたのでしょう…
鍼治療のC先生に診せると
「専門のD先生のところに早めに診せにいった方が良いね」との事
また通院する病院が増えてしまった(-_-;)(-_-;)
直ぐに予約をとり、診て頂くと「確かにマラセチア菌はいるけど、そこまで酷くないから大丈夫。塗り薬だけで治療をしましょう・・・」
沢山お薬を飲んでいるミノンの状態を知って下さっているD先生。いつもとても優しく対応してくださいます。
『ミノンはまだまだ生きようとする力が溢れているよ』そんな言葉をかけて励ましてくださいました。
ベテランのD先生は、飼い主の気持ちを汲んで優しい言葉をかけて下さいます。そんな先生の優しさに何回助けて頂いたことか・・・・・・・
このように、ミノンは本当にたくさんの獣医師の方々とスタッフの方々に支えて頂きながら色んな治療を頑張っています。
鍼治療に通ってなかったら、私もカサブタに気が付くのが遅れたかもしれない。
色々な事が上手くいかない今だからこそ、小さな良い事をみつけて+に変えていこうと思います。
良い事と言えば、心臓のお薬を頂きにB先生のところに行った時、久しぶりに血液検査をしてみましょうと言われ、血液検査をすると、内臓系は今のところ大丈夫でした。
お薬を沢山飲んでいるし、利尿剤は腎臓に悪いと聞いているので、その点がとても気がかりでした。本当に良かった〜〜〜♡♡♡
大好きなスヌーピーハウスでくつろぐミノン。(お外に出ないので良い写真がありません(-_-;))
もうすぐ桜が咲くね〜〜〜〜〜。今年ほど桜が待ち遠しくてたまらない年はありません🌸
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ずっとブログをお休みしてしまいました。
仕事が忙しかったのと、確定申告+私用であちこちに出かけなければならず......................
全部言い訳なのですが・・・・・・・・・・(-_-;)
ブログをお休みしている間も、ミノンの病気は待ってくれず進行してしまいました。
まず、僧帽弁閉鎖不全症はますます進行して心臓の薬の量が増えてしまいました。
初めて鍼治療をした日。20分の治療中お預けだつたので、凄く寂しくて不安だったのか夜になって呼吸が早くなり久しぶりの酸素室。
酸素室にいると落ち着いた呼吸になるのに、酸素室から出ると途端に呼吸が荒くなりました。たまたま娘が帰省中だったので、ミノンを抱いてもらって、何とかニトログリセリンを入れる事が出来ました。翌朝まで酸素室で様子をみながら何とか事なきを得ました。
翌朝、主治医のB先生に駆け込み🚙ました。前より血液の逆流が増えているとの事。また三尖弁の方も悪化しているとのことでした。
肺水腫になりかけだったみたいです(-_-;)
今回は利尿剤の注射ですぐに良くなりました。しかし心臓の薬は量が増えてしまいました。
初回の鍼治療直後の心臓悪化だったので、2回目の鍼治療からは私も一緒に治療を見守る事になりました。
首もかなり硬直しているので、首にも針を刺すのですがそのたびに悲鳴をあげるミノン。もうちょっとで「もうやめてください」
って言いそうになりました。
通常は鍼をさしても痛く無いそうですが、緊張しやすい仔は痛がることがあり、治療がストレスになり逆効果になるとの事。
ミノン痛くて、辛い思いをさせてごめんね。完全なる飼い主の自己満足でしかなかったのですね。
私が鍼治療をチャレンジしてみたいと言っただけで、ミノンはそんな事望んでないし毎回20分の治療時間ずっと震えいるミノンをみて、私も辛かったけど、C先生もかなり辛かったみたいで、
「お母さん、ミノンちゃんに鍼治療は向かないようだから、辞めない???」っと先生からその言葉が出ました。ホッとした反面、これで麻痺が治る可能性は全く無くなったと悲しくもなりました。
レーザー治療だけを週2回通って効果があるかどうか試してみましょうとの結論に至りました。
こうやってブログ書いて自分で読み直すと自分の気持ちの流れが良くわかります。鍼治療は現状維持の為って言いながら欲が出てきてました。痛み止めの頓服を飲みながら自分の脚で歩ければ、バンバイザイ。自分の脚で何とか家の中を歩けているんだもの。
自分の脚で歩いてくれてありがとう。大好きだよミノン♪
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闘病記を書いてると、毎日が大変そうに思われがちですが、ご飯もちゃんと食べれて通院の日じゃない日は平凡な日常です。
脚が悪くなって、お外のお散歩が出来なくなった時スリングキャリーバッグを購入してました。
以前に持ってたキャリーバッグは底がアーチ状になっていて、腰の悪いミノンには良くないと動物病院の先生に注意されました。
新しくネットで買ったスリングバッグは底板が入っていてフラット。
暖かくなったら、日が長くなったらとお散歩に行くのを楽しみにしていたのですが、脚の調子がいまいちで、「腰に負担がかかってもっと悪くなったらどうしよう???」って考えると二の足を踏んでしまっていました。
先週の金曜日は気温も上がりお天気も良かったのでミノンと夕方のお散歩に出かけてみました。
お顔がちゃんと出ていい感じ💮
最初はおとなしいミノンでしたが、しばらくすると『降ろして 自分で歩きたいの!!』って怒ったみたいに吠え始めました(-_-;)
プライドが高いミノン。赤ちゃんじゃないんだから恥ずかしい(-_-;)って思ったのかな???
『よし、よし』してなだめながら、10分弱の短い抱っこお散歩は終了。
ナックリングが無ければ自分の脚で歩くお散歩もありだと思うけど、ナックリングしてしまうと脚の甲を怪我してしまう恐れが大です。
芝生とか、柔らかい土の上なら良いかな〜〜〜今度のレーザー治療の時、C先生にお聞きしてみようっと・・・・・・・・
ワンちゃんの靴もあるけど履きなれない靴なんて履いたら余計に転びそうで怖いな〜〜〜
お散歩から帰ってくると、ママ友Mさんに会いました。一杯よしよししてくれましたが、途中でMさんは涙ぐみ始めました。
去年ミノンと同い歳で亡くした愛犬Kちゃんの事を思い出したそうです。
みんな同じくらいにワンちゃんを飼い始めいて、ここ最近ワン友ちゃんや、ワン友君の訃報をお聞きして心を痛める事が多いのも事実です。
何だかとっても悪い事をしたような気分になり、『ごめんね😢』って謝っていました。
Mさんには全然そんな気持ちもないし、そんな事は分かっているのだけど・・・・・・・・・・
ミノンなの脚が悪くなってから、普通にお散歩してるワンちゃん見るだけで涙を流す私ですした。
散歩してるワンちゃんんも飼い主さんも全然悪く無くて、ただ最近まで元気にお散歩していたミノンがお散歩できなくなった事実をなかなか受け入れる事が出来ずに涙が出ていた自分。
ミノンが歳老いていく速度と飼い主の私の気持ちが追いつかないのです。
Mさんは、話に聞いただけでも大変な老犬介護を経験された方です。
まだまだ、私なんて介護ってほどの経験はしていません。最近はオムツも辞めました。(とても嫌がるし、お布団の中で粗相をすることも無くなりました(笑))
どこのワンちゃん猫ちゃんもいずれ歳を重ね老いていきます。それは人間も同じです。
病状が落ち着いている今だからこそ、今のミノンをしっかり受け入れて、一日一日を大切に過ごしたいな〜〜〜
桜の木の蕾チェック。まだまだひらきそうになかったです。
お散歩行く度にチェックしますね〜〜〜
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12歳になってから色んな病気になり過ぎて殆ど毎週どこかしらの病院にいってます(-_-;)
その色々な病気との闘いは、また時間のある時に記録として残していきますね〜〜〜
今日はいつものかかりつけのB先生のところにレーザー治療に行ってきました。
私の心の中でずっと引っかかっていたのは右後ろ脚の麻痺。
肺水腫ななってなかったら、大学病院でMRI検査とCT検査をして頂く予定でした。
ヘルニアか脊髄腫瘍の確定診断をして頂く為に・・・・・・・・・・・
分かったところで手術はしたかどうかはわかりませんが、前回の脊髄腫瘍では早期発見をして頂き元のように歩けるようになったので
原因が分かれば何か違った治療法があるのではと期待した部分もありました。
でも肺水腫になった事により、全身麻酔のリスクが一機に上がってしまいました( ;∀;)
一旦保留にして頂いていた大学病院での検査をどうするか???との質問に「しません」って本日ハッキリお答えしました。
リスクを承知で正体を明らかにしても、今のミノンの心臓では次に手術のステップに進めないのはわかっているからです。
毎日、毎日悩んで、悩んである行動を起こしました。
「ミノンの為に鍼治療をしてみたい」とずっと考えていました。
2年前、大学付属病院でMRI 検査とCT検査で脊髄腫瘍の診断がくだるまで駐車場
で何時間も待っていました。その時は完全にヘルニアだと思って検査を受けていました。待っているあいだずっとヘルニアについてスマホで調べていました。手術以外の治療法はないのかと・・・・・・・
すると、鍼治療で完治したとの情報が出てきたのです
今回は主治医の先生もヘルニアの可能性が極めて高いと仰っていました。けれど飼い主の観察と過去の経験から、ヘルニアの時の発症の仕方が違う気がしてならないのです。
過去のヘルニアは物凄く痛がるところから発症しました。首の時も腰の時も触ったら「キャン」と泣き触るのを物凄く嫌がったのです。そして涙を目にためてフリーズしたり、痛みでガタガタ震えていたりしました。痛み止めが効いている間は元気に動くのに薬がきれるれるとフリーズするのを繰り返していました。でも1週間くらいで段々よくなっていました。
しかし、前回の頸椎の脊髄腫瘍の時はナックリングが先でした。お薬を飲んでもあまり改善が見られず段々と麻痺が進んでいきました。左前脚の麻痺から左後ろ脚の順で麻痺が進んでいったのでした。
今回も右後ろ脚のナックリングから始まったので私はそこが物凄く気になっていました。痛み止めを毎日飲んで1週間に2回のレーザー治療に通いましたが、ナックリングが治る事はありません。薬も効いてないように思っていましたが。休薬してやっと分かりました。
飲まないともっと状態が悪くなるのだと・・・・・・・・・・
しかし、心臓と利尿剤を飲んでいるミノンは腎臓が悪くなる可能性が高くなっています。なのでなるべく痛み止めも少なくしたいとの主治医の先生のお考えがある事も分かっています。
そこで、勇気を振り絞り脚の麻痺の治療に鍼治療にチャレンジしてみたいので、C先生にお話を聞きにいきお願いしました。とお伝えしました。
今後も心臓の方はB先生にお願いしますと・・・・・・・・・・
嫌な顔をされるのではないかと心配していましたが、「いいと思うよ」って言ってくださいました。
治るなんて甘い事は望んでいません。現状維持で一日も長く自分の脚で長く歩けますように・・・・・・・・
シニアになって色んな病気を経験したことで、少しずつ強くなっている気がします。時には言いにくい事もハッキリ言える。
そんな勇気をくれたミノン。ありがとうね〜〜〜
鍼治療怖いけど頑張ろうね〜〜〜!(^^)!
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小さい時から食いしん坊のミノンは、滅多にお腹も壊さず良く食べていました。
お散歩していると、『これは何犬???』って聞かれるくらい、大きく成長してくれていてマックスの時は。3,3
キロありました...............(-_-;)(-_-;)
今はお姉ちゃんワンコがたんぱく漏出性腸炎になって激やせした時と同じくらいに痩せてしまって、2.3キロと2.4キロをいったり来たりしています。
この写真。向かって左が6年前のミノン。右側がお姉ちゃんのカノン。カノンネエネがこの時、2.2キロ。
ミノンが3キロ弱。
現在ののミノンがカノンネエネ位に小さくなってしまっています。比較対象出来るネエネがいないので、信じられませんが・・・・・( ;∀;)
《この写真を撮った半年後。とても悲しい事にカノンは虹組の仲間入りをしました》
ミノンが痩せた原因は去年の初夏。慢性膵炎になってしまったのがきっかけです。《慢性膵炎以前は2.7キロ》
そこからはずっと低脂肪のカリカリフードの療法食を食べています。
膵炎になってからは、食べない日が続き3日に1度点滴に通っていました。
療法食の缶詰も食べてくれなくなった時は、ロイヤルカナンのクリティカルリキッドをシリンジで強制的に飲ませていました。
あの時は、もしかしたらこの夏は越せないかも???って本当に心配しました。
食べない時はお薬も口に入れてくれなくて、とても大変でした。
2年前、脊髄腫瘍の大手術したあとの入院中もよく食べてくれて先生をビックリさせたくらいでした。
そんなミノンがフードを何日も食べないなんて...............
ミノンは寂しがり屋の甘えん坊なので、私が仕事で忙しくしていたりイベント前にバタバタしていると、わざとみたいにご飯を食べずに心配させてくれていました。けど朝ご飯を食べなくても夜には食べてくれていて、私の気持ちをミノンに向けさせる作戦のような…
(下の子あるあるでしょうか???)
膵炎の時は、明らかに様子が違っていて何回も嘔吐して、予約枠に無理を言って割り込ませてもらい、B先生に診て頂き、
点滴をしてもらうと次の日には、消化器サポートの缶詰をペロッと
食べてくれ、安心したものの・・・・・・・・・。その後深夜に血の混じった下痢を何回もして…
翌日はかかりつけのB先生が休診日だったのですが、次の日まで待てなくてC先生の病院に駆け込んだのです。
C先生は、初診にも関わらず色んな検査をして下さり、次の日にはちゃんとかかりつけの先生に診せてねとメールでB先生に引き継いでくださいました。
今回の肺水腫の時、かかりつけのB先生にメッセージを投げて下さったのが、このC先生なんです。
膵炎の時、このC先生のところに行ってなかったら、夜間の緊急電話番号も知らず、かかりつけのB先生に繋げて頂く事もなかったと思うと、ミノンは本当に運の良い子なのだと思います。
ミノンは奇跡を何回も起こす凄い子なんです。だから、きっとまだまだ奇跡を起こして長生きしてくれるって信じています。、
カノンはかかりつけのA先生に10年間ずっと診て頂きました。ミノンは何人の獣医師の先生にお世話になっているんだろう???
カノンがいなくなってから、獣医学も格段にレベルアップしたことを実感します。
そして動物病院の先生にも色んな考え方があることを今凄く感じています。どの考え方が正解かわからず本当に答えが出ません。
ミノンが色んな病気になってからYouTubeで色んな病気の事を検索しています。
同じ病気で頑張っているワンちゃんを見て勇気をもらったり、介護を一生懸命されている飼い主さんをみて励まされたり・・・・・・
このブログでは、治る事のない持病をいくつも抱える老犬と一緒に闘っている飼い主の心の動きを、素直に綴っています。
勇気も励ましも出来ないですが、14歳のシニア犬の今の様子を文字で残しておきたいと思っています。
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2月になってからは酸素ボックスもありがたいことに稼働することも殆どなくなってきました。
書き忘れていましたが、ヘルニア疑いの大きな病院の検査は当然ながら中止となり、原因不明の右後ろ麻痺は週1回のレーザー治療で様子を見る事になりました。
その際に心臓の音も聞いてもらっています。
寝入りばなに呼吸数が早くなったり、たまたま夜中に呼吸が早くなったりするけどそれは夢をみたためだから気にしなくても良いとのことで、以前ほど神経を張り詰めていることもなくなってきました。
心臓の薬の他に利尿剤、ヘルニア疑いの痛み止め、慢性膵炎のお薬、それにサプリメントを加えるとトータル1回7錠+1カプセルを
飲んでいます。1日1回の薬もあれば朝夕2回の薬もあるし、チワワだから2分の1錠や4分の1錠のものもあるから、上記に書いた数はかなりオーバーですが・・・・・・・・・・・・・・。
以前、皮膚科のお薬をずっと飲んでいたから、食欲がある時のお薬飲ませは慣れていたのですが、今年に入っての食欲不振のお薬はかなり大変な朝夕の日課となりました。
12月の初めからずっと飲んでるヘルニア疑いの痛み止めは私も気になっていて、途中から胃薬も一緒に出して頂くようにお願いしました。
多分主治医のB先生も気にしてくださったのでしょう。2日に1回に減薬したあと休薬となりました。
すると、麻痺が日に日に悪くなり1週間に1度のレーザー治療に行く前日には、歩くのも足がもつれてご飯を食べる間も立っていることが出来ず、横座りをしてしまうほど、悪化してしまったのです。
私の素人考えかもしれないので、『痛み止めの薬をやめてから麻痺がひどくなったような気がします。』と先生にお伝えし、1番酷い時に撮った動画をお見せしました。
その動画を見た瞬間先生の顔は曇り、
B先生:『悪化しているね。でも今の状態では手術できないからね〜〜〜後ろ足が1本完全に使えなくなっても命にはかかわらないから・・・・・・・・・・・・・・』『これからミノンちゃんが家の中で危なくないように環境を整える事を考えていくことが大切だね』と言葉を選びながらお話ししてくださいました。
ヘルニア、脊髄腫瘍のどちらにしても外科手術しか治す方法はない事はわかっていたけど、このまま立つことも出来なくなるのを見守るしかないのかと思うと本当に辛くなりました。
この日は1週間分、痛み止めを頂き様子を見る事になりました。
痛み止めが効いたせいか、レーザー治療が効いたかはわかりませんが、お薬を飲んでいる間は麻痺がよくなって家のなかをテチテチ歩いています。
ナックリングも少なくなっている気がします。
お薬は副作用があり、利尿剤を飲んでいるミノンは腎臓が悪くなるリスクが格段に上がりました。だから痛み止めも良くないから休薬して下さった事もわかっています。
2月14日。2回目のレーザー治療に行ったら、やっぱり先週より神経反応が良くなっているとのこと。
先生との話合いで頓服薬として、痛み止めの薬を使う事になりました。
心臓の調子が安定していると、足の麻痺も現状維持で春になったっらお散歩できるのかな???なんて思ってしまった単純な私。 人間は欲が出るものですね〜〜〜(-_-;)
その夢が叶わないと思うと、車内から散歩してるワンちゃんを見るだけで羨ましすぎて泣けていました。
『命を助けてもらって、何贅沢言ってるんだ』って沢山の方にお叱りを受けそうです。
そうなんです。ここで一緒にいられるだけでとても幸せな事なんですよね〜〜〜。
まだ自力でご飯も食べて、失敗も多いけど自力で排泄も出来て、お家の中で歩けてます。
看取りの覚悟をしたはずなのに、時々今より良くなるなるのでは???って思ってしまう私。
全然、覚悟できてないのですよね〜〜〜〜〜。
ブログを書いていて、自分の甘さに気が付きました。
こうやって、ブログを書いていると自分の心の動きがわかります。
梅の花があちこちで咲き始めました。
今の目標はミノンと一緒に桜の花を見る事です。お散歩バッグの中でも、ペットキャリーカートに乗ったままでも上等。
一緒に桜の花を見ようね〜〜〜。
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E先生から「他の動物病院の先生に今のミノンの心臓の状態を診て頂き、今手術を決めるべきかを他の先生のご意見を聞くのが良いのでは???」との提案をして下さり、設備の整っているD先生を紹介してくださいました。
砥部からは車で1時間ほどかかる少し遠い病院です。日曜日も診察して頂ける病院なので早速予約をお願いしてお話を聞いてきました。《2024年1月21日》
やっぱりミノンの心臓は血液の逆流が多くなっていて、あまり良い状態ではないとの事。15歳までは手術適応年齢だそうです。
ですが、手術したからって絶対なおるわけでもなく、成功率も100%ではない事は念をおされました。
そのうえで先生の経験談をお話ししてくださいました。
以前、飼い主さん側からの要望で、僧帽弁閉鎖不全症の手術をしたいから病院を紹介してくださいと言われたそうで、関西にある病院を紹介したそうです。
そのワンちゃんんはミノンよりも若く、心臓の状態もミノンよりか悪くなかったそうです。
手術は成功したものの、術後の入院中に体調を崩し、そのワンちゃんは残念ながらお亡くなりになられたそうです。
元気になると思い手術を懇願していた飼い主さんの落ち込みようは見ていても辛くなるようなお姿だったとの事でした。
ミノンが脊髄腫瘍の大手術をしたのは12歳の時。術前のCT検査やMRI検査で内臓は元気だと言われていました。
ただ、その時も僧帽弁閉鎖不全症の血の逆流はしっかりあると言われたのですが、B先生に相談して心臓は大丈夫だから・・・・
と背中を押してもらって手術することにしました。
が、あれから年月も経ち確実に老いを感じるミノンに前よりも難しい手術をする事が正解なのか…。
多分、D先生の経験談を聞いた時、私の心は決まったように思います。そして思いきってお聞きしました。
私:『もし、先生の愛犬が今のミノンと全く同じ状態だったら、手術しますか???』
D先生:『年齢がもっと若かったらするだろう。けどこの年齢で他の病気がある子に、心臓の手術はさせないな〜〜〜』
この言葉で私の気持ちは固まりました。手術はしないって・・・・・・・・・・・・・・
多分、D先生もE先生も私が手術しない選択をするように、言葉に気を付けながら導いて下さった気がします。
やっと答えが自分の口から出た時、ホッとしました。残りの時間、ミノンと一緒に過ごす時間を大切にしょう!きっと一匹で遠くの
病院で何日間も入院、手術することを、ミノンは望んでいないだろう。
本当に悩んだ末の結論です。
子ども達もこの選択に賛成してくれました。
お時間をとってお話を聞いてくださいましたD先生。本当にありがとうございました。
更にD先生が、ある提案をしてくださいました。うちの病院でも緊急の時診てあげる事は出来るけど、何分移動に時間がかかり過ぎるから、僕からC先生に夜間の緊急対応をしてもらえるようお願いしてあげるって・・・・・・・・・(C先生とは家から一番近い、肺水腫の日にかかりつけのB先生にメッセージして繋げて下さった先生です)
私がD先生のところから帰ってからすぐに、C先生に早速電話でお願いして下さったと事を後から知りました。
なんて優しい先生方のネットワークなんだろう。夜間病院もなく田舎に住んでいることを後悔したりしたけど、こんなに優しい
先生方がいらしゃったことがわかり、本当にありがたく暗闇にいた自分とミノンを光のある場所に連れて行ってもらえた気分になりました。
また、色々相談にのってくれた動物好きの委託作家さん方や、大阪まで車で連れて行ってあげるよって言ってくれた友達の優しさに心から感謝します。
1月24日水曜日のお店の定休日に、かかりつけのB先生に手術はしませんとはっきりお伝えをしたあと、C先生のところにご挨拶に伺いました。
C先生にB先生に手術はしないって言ってきたとお伝えすると、「よく決断したね」と誉めて下さったあと
「その決断を出したのなら、次は看取りの覚悟をしなくっちゃね」と言われました。
そうだよね。手術しないって事は、近い将来その時が来るってことだよね・・・・・・・・・。
看取りの覚悟って言われたた時はさすがにショックだったけど、取り乱す事もなく「はい」って返事出来ました。
C先生は、サバサバとしていてハッキリ物を言われる先生です。でも物を言えないペット事を大切に思ってくださっているのが良くわかります。
「私が、夜間救急を引き受けたら、あなたが毎日ホームを検索する時間が減るでしょう。その分の時間をミノンちゃんと楽しくすごしてね〜〜〜」
そうなんです。毎日、毎日急に悪くなったらどうしよう。今日は夜間の当番医はどこだろう???って日課のようにホームページを検索していました。
松山近郊の物病院で、ICUの設備が整っている病院は本当に数えるほどしかないことを知りました。
自分の飼い犬が肺水腫になるまで、そんな事も知らずにいたのです。酸素ボックスをレンタルする意味も分かりました。
C先生が、「私の病院では助けてあげれなかっかも???」の意味もそこにあったのです。
肺水腫は怖い病気だといううことは、なんとなくしっていたけど、ここまで怖い病気であった事は肺水腫になってはじめて知ることになりました。
ステージがB1だからって油断していたら、B2を飛ばしては数時間で肺水腫になり、ステージCになった老犬チワワがここにいます。
どうか、僧帽弁閉鎖不全症の診断を受けたワンちゃんは、注意深くワンちゃんの観察をしてあげてください。
あの夜、明日の朝まで様子を見ようって諦めていたらと思うと........................
色々あり過ぎた1月ですが、2月もミノンの闘病生活は波乱万丈です(-_-;)(-_-;)(-_-;)
まだまだ、実際の日にちに追いついていませんが、引き続き読んでくださると嬉しいです。
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ミノンの心臓手術についての家族会議。
息子っち・・・・・・・2年前の脊髄腫瘍の手術の際は反対だった。今回も反対するだろうと思いきや手術することに賛成。
私の毎日の心配が無くなるのが一番の理由だそうだ。この意見には驚いた。でも前回の手術が上手くいき
とても元気になったのも理由の一つとなったようだ。
娘っち・・・・・・・・ミノンは前回の大手術で頑張ったから、またメスを入れるのかわいそうだ。でもお母さんが楽になれるのなら
手術する事もありかもしれない。
2人とも、私が肺水腫の後かなり参っていたのを気にかけての発言だった。
とにかく、手術するにも連れて行く手段がないとはじまらないから、大阪まで連れて行く方法を探してみる事
手術するメリットとデメリット、費用の面や入院の期間等々、何も説明を受けていないので色々調べててみるという事でその日の話合いは終わったのです。
次の日、色々調べました。
普通のタクシーで行く方法。
ペットタクシーがあるので、それも電話して色々お聞きしました。
松山にあるペットタクシー会社はさすがに大阪までは無理だと丁重にお断りされました。
今治にもペット専用タクシーがあって他にも色々なサービスをされている会社を見つけました。とても感じの良い社長さんが
凄く親身になってお話を聞いて下さり、大阪までの見積もりもだしてくださるとの事。少しでも値段を下げるのに今治まで自分で連れてきて、会社の車庫に車を置いて大阪まで行ってはどうだろう???っと細かい気遣いまでしてくださいました。本当にその優しさに救われた思いになりました。
見積もりの金額も、想像していた金額よりずっとお安くて・・・・・・・・・。これで大阪まで行く手段が見つかったと嬉しくなったのでした。
ですが手術について色々調べていくうちに、手術までの待ち時間が半年近くかかる事。手術の前に術前検診。手術の為に2週間から4週間の入院期間がかかる事、術後検診に何か月に一度大阪までいかなくてはならない事。
その間にミノンも歳を重ね、他の持病も悪化していくことを考えると、手術する事が本当にミノンの為なのかと考えるようになりました。たった2日間ペットホテルに預けただけで、膵炎にさせてしまった過去の苦い経験。何よりミノンは乗り物酔いするので、あまり遠出の経験がないのです。そんなミノンに何回も大阪までの移動や長い期間の入院がストレスになるのは容易に想像できます。手術の成功率も100%でないし、高齢犬は術後の回復がなかなか大変なんだそうです。
そんな色々なリスクを考えた時、半年待ったら15歳になるミノンに手術させる事は、飼い主のエゴのような気がして..........
でも、この僧帽弁閉鎖不全症を治す方法は手術しかない無いって事もわかっています。
悩み過ぎて、考えると益々わからなくなってきました。
もう自分で結論が出せないって思った時、ミノンがお世話になっているE先生に相談してみようと思いつきました。
昨年膵炎で殆ど食べ物を食べなくなった時、『大丈夫、もうすぐ食べるようになるから。もうちょっとの辛抱だよ』って言ってくださった事がありました。その時の大丈夫って言葉がどれだけ嬉しかったか................(その後本当に元のように食べるようになりました)
飼い主は言葉がしゃべれないペットの事を、本当に心配しながら生活しています。『痛いよ』とか、『辛いよ』『手術して欲しいよ』って言ってくれたらこんなに悩まなくてもいいのに............
ベテランのE先生は時に冗談をいったり、一緒に喜んで下さったり、嫌がるミノンをおかまいなしに顔をすり付けてスキンシップをとって下さる、本当に面白くて、優しい先生なのです。
動物病院の先生にも色々なタイプのいらっしゃる事も今回の事で凄く勉強したように思います。
それぞれの先生が、考え方や動物に対する思い、飼い主さんに対する思いは色々であって当たり前です。
E先生はこちらの話もちゃんと聞いてくださった上で、色々な経験談をお話ししてくださいました。
ちゃんとお話しを聞いてくださることでこんなにも自分の気持ちが楽になることに改めて驚きを感じました。この日決論は出なかったけど、E先生にご相談に行って本当に良かったと思います。
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娘っちの協力もあり、少し元気になった私でしたが、新たな課題を与えられて本当に辛い日がまたも訪れてしまいました。
退院後初めての受診は丁度1週間後の1月17日(水曜日)。いつもより車が少ない。これなら先生に色々とお話しできる。
そんな、安易な気持ちで診察室に入りました。
B先生:何か退院後に困ってることはない???
私 :毎日夜間救急病院の電話番号、病院の場所、所要時間を調べて不安な日々を過ごしています
B先生:残念ながら愛媛県には夜間救急専用病院がないし、今後建つ予定も聞いてないから今の輪番性の夜間担当病院に行くしか方法
はないね。でも時間外やあまりにも遠い病院に連れて行くのはお勧めしない。その為に酸素ボックスをレンタルしてるんだか ら・・・・・
そのお話を聞きながら、私が大金持ちなら夜間救急病院を愛媛に作りたい。なんて突拍子ない事を思ったのでした。
松山近郊に住んでいる私はまだ良いのかもしれない。もっと松山から離れている方は本当に困っていらっしゃるんだろうな・・・・・・・・・・
コロナ禍で空前のペットブームとなり、きっと10年後はもっともっと夜間救急病院を必要とする、ペットちゃんや飼い主さんが増える事は明らかなのだ。
と話は脱線しましたが...................
B先生:他は???
私 :年齢と共に寝る時間が増えてきたのですが、退院ご益々その時間が増え、食べてる時、お薬飲んでる時以外は殆ど寝ています。
ミノンはこのまま寝たきりになるんでしょうか???
B先生:この飼い主厄介だと思ってけど益々変になったぞ・・・・・・・・(先生の心の声)
肺水腫の後元気に走り回る方が、体には良くない事だよ。おとなしく寝ているのも本能のようなものだし、腰の痛みもあるか
らじっとしているのだから、寝たきりになる心配はまだしなくても大丈夫(苦笑)
私 :心配性なものですみません。肺水腫の後、益々心配性の拍車がかかりました
B先生:一つ提案あるんだけど 手術の話はした事あったかな???
私 :はい。僧帽弁閉鎖不全症の診断を最初に受けた時(2年前)お聞きしました。でもその時は、大阪や名古屋までいかないと出来ないと・・・・・・・・(-_-;)
B先生:うん。今も同じ。近くて大阪や名古屋でしか動物の心臓手術はやってないんだよ
私 :じゃあ無理です。
B先生 :何が無理なの
私 :そこまで連れて行けません。
B先生 :車で連れて行くのに無理な距離じゃないよ。今のミノンちゃんの心臓の状態なら大阪までの移動なら無理でない。
ミノンちゃんの心臓よりもっと悪い状態の子も携帯酸素を車に積んで手術しに行ったんだよ。
私 :うちは主人を早くに亡くして私一人が面倒を見ています。私の運転ではとても大阪までは連れて行けないんです。
B先生 :今の心配事が減ると思い、今日この話をしました。
家族や親戚の力を借りてはどうだろう??? 家族で良く話あってみてね。
いつもより長く先生とお話しして診察室を出ると・・・・・・・・・・・・
駐車場が車で溢れかえり、1時間待ちですと言っている受付の方の声が聞こえてきました。
私とミノンにせいで、こんなに待ち時間を作らせたんだと思うと他のワンちゃん、猫ちゃんにとても申し訳ない気持ちになったのです。本当にごめんなさい。
いつも忙しそうにされているB先生。なかなかじっくりお話し出来ないのはこうなってしますからなんだな。先生がチラチラ駐車場を小窓から見られているのを見かけるのも、待ち時間を少なくしようと思う先生のお優しさなんだとその日、気が付きました。
そんな忙しすぎるB先生が、じっくりお話しをして下さった事を真剣に考えなければと思ったのです。
でも、思ってもみなかった手術のお話に私の心は動揺してしまいました。
先生にはうちの家族のことなど話した事もなく、家族構成も知らないはず。
なのに、家族や親戚の誰かが大阪まで連れていってくれると思ったんだろう???
息子も娘も成人して車の免許は持っています。でも都会暮らしの二人は全く車の必要性もなく、帰省した時私が強引にたまには運転しないと・・・・・・っと息子にハンドルを握らせる程度。コロナで帰省回数も減ったんで、1年に1回か2回。
娘に至っては それを言うと。「死んでもいいんかい???」って脅してくる始末。
運転に関しては全く頼ることが出きないのです。田舎あるあるで、成人したら車の運転が出来て当たり前は当たり前でないのをわかって欲しいな..............
動物病院からの帰り、ドライブ好きで遠くまで車で連れて行ってくれていた主人がいたら、こんなことで悩まなくても済むのにと
後から、後から涙が流れ落ちました。
ミノンにごめんね。運転が出来ない飼い主で............................
ただ、その日は手術をするしかミノンを長生きさせてあげれないとの思いが、頭の中をグルグル回ってました。
そして、毎日の心配が減ると私も少し楽になれる......................
そんな思いで、子供たちとのグループLINEに家族会議招集の案内をしました。
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1月10日(水)に無事に退院したミノン。
帰りにメッセージで主治医の先生に繋げて下さったC先生の病院にお礼に立ち寄りました。
C先生は『本当に良かった。うちの病院では助けてあげれなかったかも』っとおっしゃいました。加えて「これからが大変だけど気を抜かずにがんばってね」ってエールを送ってくださいました。
その言葉を聞いて改めて『肺水腫』がどんなに恐ろしくて怖く、僧帽弁閉鎖不全症が大変な病気であるかを思い知らされたのです。
他の病院では助からなかったかも???って言葉を他の動物病院の先生からもお聞きしました。何故???って事は後日知ることになるのです。
退院はしたものの、成人の日の急変の恐ろしさ、救急夜間病院の休みの時の対応に大きな不安を持った私は、毎日夜間急救急の当番医を調べ、ホームページを検索したり、Google マップで道順を調べてり、毎日緊張していました。夕ご飯も食べずそんなことばかり調べたり、ミノンの息づかいに耳を傾け何回も呼吸数を数えたり.................
酸素ボックスの機械の電源を入れていたので、機械音が24時間鳴っていて熟睡も出来ない日が続きました。
滅多に弱音を吐かない私が、泣きながら不安なことを電話するので娘っちもとても心配したみたいでした。土日を利用して帰省してくれました。一人だったらご飯も食べなくていいやって思うくらいだったので、娘と一緒にご飯らしいご飯を食べると、体も心も元気が出ました。
絶対にこの薬は飲ませないと命に関わる大事な薬。と言われているお薬があり、シロップに解いてスポイドで飲ませているのですが、朝夕の2回のこの投薬もかなり神経を使うのです。その飲ませ方も娘に伝え、私がやれない時には娘がやってくれると、情報共
有出来たことで、私の心も少し軽くなりました。
介護をされているかたが、一人で抱え込み大変な思いをされていると良くお聞きします。
やっぱりしんどい時や辛い時は、誰かに頼ることも大切なんだな〜〜〜
イヌと人間を一緒にするなって叱られそうですが、私が元気でないとミノン看護も出来ない。自分の体も大切にしなくては???
そんな事を思ったミノン退院後1週間でした。
何回か寝入りばなの呼吸数が早くなりましたが、心配するような酷い状態になることはなく寝ている時間がかなり長くなってきたと思うのが少し心配な点でした。
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前回の続きです。
1月8日(月)の祝日午前中のみ診察のB先生の病院に行き、いつものレーザー治療と咳止めの注射を打ってもらい帰宅しましたが、
食欲がなく前日夜ご飯も食べず、この日の朝のご飯も食べずでした。点滴でもしてもらって帰った方が良かったかな???なんて呑気な事を思っていたのです。夜は久しぶりにささみを茹でてあげようと思いスーパーに出かけた後は、久しぶりの休日だったので私もミノンとのんびりとこたつの中で過ごしていました。
私は撮りためていたHDDを見てるとミノンがこたつの中でお昼寝。でも何だか息づかいが荒い気がしてました。変な夢でも見てるのかな???なんて思いながらも、注射してもらったし大丈夫だよな〜〜食欲がない方に気をとられていました。
夕食にささみを茹でて『これは食べれる???』ってキッチンから戻るとミノンに異変が・・・・・・・・
オエオエと何回かエズいています。昨日の朝から何も食べてないので吐く物もなく。それに加えてお腹のあたりがウネウネと激しく動いています。
これはただ事でないと夜間の救急病院を調べると『本日は休診日』の文字。私の頭の中はパニック。『えっ???』どうしたら
いいんだ。
その時は、心臓はバクバクするし手は震えるし・・・・・・・・・・
ダメ元でかかりつけのB先生の病院に電話をしましたが、やはり『夜間病院に行ってください』とのアナンスが流れて切れるだけです。
夜はこれからまだまだ長い。19時ころの事です。
『どうしよう、どうしよう???』と思い自分で「落ち着け!」『落ち着け!!』と呪文のように唱えていました。
そこで思い出したのが去年膵炎の時血便が出て、かかりつけの病院が休診日で飛び込んだ病院。事情を話すときちんと見て下さり。主治医の先生にもちゃんと引き継ぎのメールをして下さったとても丁寧なC先生。診察券に夜間の緊急連絡電話が書いてあったのを思い出したのです。
こちらもダメもとで電話をしました。この時、お姉ちゃんワンコカノンが教えてくれた事を思い出したのです。
夜だからとか、一度見て頂いたから朝まで待っても大丈夫は違うって事を・・・・・・・・・・
非常識って思われても、図々しいって思われても、今のミノンの苦しさを見てるのは私だけだって・・・・・・・
留守番電話になっていたので診察券番号、今の状態を留守電に吹き込みました。折り返しを待つ時間が凄く長く思われました。
待ってる間に、娘に電話をして今こんな状態だって伝えたり、その間に1回嘔吐したものを片づけたり、直ぐに病院に行ける準備をしたり・・・・・・・・・
すると、C先生から折り返しが・・・・・・・20時半頃
ざっと今の状態をお話ししましたが、1回しか診たことの事のないミノンの事は覚えてないし、今病院のレントゲンが壊れているから、うちで診る事は出来ないってハッキリ言われました。
B先生の病院緊急連絡先は知らないのかと..............
知らないし、以前にB先生に夜間具合が悪くなったらどうしたら良いかお聞きした時、夜間救急の担当病院に行くように言われた事、そこが休診の時はどうしたら良いかとお聞きすると、県外に行かれる方もいると言われた事をお伝えしました。
すると、B先生の病院まで行ってピンポンを鳴らしてみては???とのご助言。先生のご自宅があの場所にある事さえ知らなかった
私。そんな事して大丈夫ですか???って言う私に、
『じゃあ、私がメッセージを投げかけてみるから、期待しないで待ってみて』メッセージだから気が付いてもらえない可能性があるから、期待してはダメだと念を押されました。
もし気づいてもらえない時は、そのまま朝まで様子を見て大丈夫かと尋ねると、最終砥部から1時間かかる松山にあるD病院に電話して行ってみてとのアドバイスを頂きました。
折り返しがあった事、C先生に言われた事を娘っちに報告して、最終ここに行けと言われたD病院がどこにあるか、全くわかっていない事。砥部からかなり距離がある事。暗いし初めての病院に行くのは安全な広い明るい道を選んで行くと益々時間がかかることなどの心配を話していると、
かかりつけのB先生から折り返しが・・・・・・・・・・・・
直ぐに家を出ての指示が・・・・・・・
そこで震える手で家から30分のかかりつけのB先生の病院まで車を走らせたのです。信号にかかる度、ミノン大丈夫???
もう少しだからね〜〜〜〜と声をかけながら…
いつものように明るく病院の電気を付けて到着待ってくださっていました。ありがたや、ありがたや・・・・・・・・・・・・
行くとすぐにエコー検査、レントゲンを撮り、肺水腫になっているとの診断。
今日は、帰すわけに行かないからICUに入院してもらうね。そう告げるとミノンは別室に連れていかれました。
僧帽弁閉鎖不全症が急激に進み肺水腫になった事。チワワではわりとよくある事なのだそうだ。
今まで、ステージB1だったのに、肺水腫になるとB2を飛ばしてステージCになってしまったとの説明に言葉を失ったのでした。
心配性の私は、YouTubeを良く見ていて、肺水腫の恐ろしさを良く目にしていたのです。ですが薬の治療も始めていなかったミノ
ンには、
ずっと先の話だと思っていました。それが、その恐ろしい肺水腫になってただなんて.............しかもICUに入院。
人間、思ってもいなかった現実を受け入れるのに時間がかかりますよね〜〜〜多分、その時の私は放心状態で先生のお話を聞いていました。
うまく薬に反応してくれれば、明日か明後日には退院出来るけど、心臓の事だからもしもの事もあるとのご説明。
一人で帰る自宅までの運転。ここで事故したら大変と自分に言い聞かせながら必死に帰りました。
電話がかかったらどうしよう???そう思いながらら、眠れぬ一夜を過ごしたのでした。
心配していた電話も鳴らず、無事次の日の朝になりました。ミノンには画面越しでしか会えないとお聞きしていましたが、
ミノンの様子は画面でのチェックのみ。朝ごはんは2,3口しか食べていない様子でしたが肺の水も順調に抜けているとの事。
先生からレンタルの酸素ボックスを家に置いたらどうかとの提案がありました。
注文したら翌日には届くとのこと。ミノンが楽に暮らせるのであればと思いすぐにレンタルすることを決めました。
自宅に酸素ボックスがある方が安心だからという理由で退院は翌日に決定しました。
10日水曜日の午前中で指定していた酸素レンタルボックスもお昼前に到着。組み立てと試運転をして退院お迎え準備が整ってから、
午後診察時間1番でお迎えに行きました。元気に尻尾を振るミノンに再会出来た時は、バカ飼い主丸出しでした。人の目も気にせずケージにかけより、ミノンにいつもの調子で話かけていました。
元気になったミノンと一緒に帰れる喜び。本当に命の危険にあったと思えないほど元気になったミノン。
主治医に連絡をして下さったC先生と、夜の緊急対応をして下さったB先生。そして奇跡のを起こしてくれるミノンに心から感謝した1日でした。
退院した日(1月10日水曜日)自分で見慣れない酸素ボックスに入っていきました(笑)
小さい頃から好奇心旺盛なところは変わっていません('◇')ゞ
とても長い闘病記ですが、同じシニア犬。僧帽弁閉鎖不全症を患っている方の参考になればと思い書いています。
ミノン、2月1日現在14歳と5か月。食欲も体重も戻り元気に過ごしています。
まだまだ、バカ飼い主の悩みは続きます。お付き合い頂けると幸いです。
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僧帽弁閉鎖不全症のミノンを見つけて下さったのは、今の主治医のB先生です。
3年前セカンドオピニオンで連れて行った時、聴診器を当てて胸の音を聞くなり、『今まで心臓に雑音があるって言われたことない???』
って言われ、『ありません』ってしっかり答えました。
B先生:『一度心臓の検査をしてもらった方が良いね〜〜』・・・・・・・・
これがきっかけでずっとお世話になったA先生に泣きながら今までの治療内容と薬について書いてくださいとお願いして別の病院に変わる事を告げました。カノンの時から10年以上もお世話になった先生にこのお願いをするのにどれだけ悩んだか・・・・・・・・・・・
でもミノンの為と思い、意を決してお願いしたのです。
するとA先生は急いで手書きで今までの経緯と治療内容、飲んでいるお薬やレントゲン写真をご準備くださいました。
本当に優しくて良い先生です。こんな失礼な事をしたのにも関わらず、ミノンの首を撫でながら、『この辺を良く診てもらいなさいね』って言ってくださいました。
結局、その時は首のヘルニアだったのですが、A先生のところのレントゲンには首のヘルニアを決定づけるものが映ってなかったのです。(A先生のところのレントゲンは古くて画像が鮮明でなかったようです)そんな優しいA先生の後に自宅から40分かかるB先生に変わった理由は、循環器科の認定医であり、特に心臓病に力を入れていると、ホームページで見たからです。
と前置きが長くなりましたが、ミノンは心臓の定期検診はちゃんと受けるようにしました。
初めは3か月一度だったのですが、B1ステージで心臓の拡大がそれほど酷くないので半年に一回で良いと言われてお薬の治療も
始めていませんでいた。
ただ、『咳がではじめたら教えてね』とか、診察に行った時『咳は出ていない???』ってしょっちゅう聞かれていたので咳には気を付けてました。
ここからが前回の続きです。
1月6日の夜、ミノンが『カッ』『カッ』って言う咳を3,4回しました。 『えッ』これが咳なの???
なんか痰が絡んでいるような・・・・・・・・・
でも、その後はいつものとおりすやすやと寝息をたてて寝始めました。
気のせいかな??って思いながらも翌朝また同じような咳を・・・・・・・・・・・1回だけ・・・・・・・・
日曜日は予約診察だし、成人の日8日月曜日は祝日で午前診療。レーザー治療に連れていく予定だからその時診てもらおうと1日様子を見ることにしました。朝の1回の咳の後は咳症状もなく、心配し過ぎだったのかな???って思うくらいでしたが、夕食は殆ど残し、慢性膵炎とヘルニア疑いの痛み止めの薬は飲ませることが出来ませんでした。
原因は和からないけど年明けから食欲が益々落ちてきて、1日1食の事もあるけれど
ちゅ〜るポケットに入れたら、殆どのお薬を飲んでくれていたのにちゅ〜るポケットさえも嫌がるようになっていて、
昨年夏の膵炎の時、ご飯も食べなくなり、お薬も飲めずとても苦労して、点滴に通ったことを思い出しました。
8日の午前、受付で咳が出た事、食欲がないことをお伝えしました。いつものレーザー治療に来たと思われ、レーザー治療が終わると『大学病院から連絡があったらおしえてね。』ってそのまま帰らされそうな流れでした。これはまずいと思い、咳が出始めた事。食欲がないことを、先生にお伝えしました。
すると、直ぐにレントゲンを撮ってくださいました。レントゲンを撮る時も少し咳が出たとの事。
『少し白いもわもわっとしたものが映ってますが、これは気管が原因で心臓でないから、咳止めの注射をうっておきますね。
けどMRI 検査は少し間をおいてからの方が安心だね。』
良かった。心臓じゃなかったんだ。 お会計を済ませ、車に乗り込むとミノンの目に涙が・・・・・・・・
『レントゲンが嫌だったん???』って言いながら涙を拭いて家路についたのです。
が.....................................
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コロナ中は県外から帰省する子ども達も、迎えるこちらも気を遣う3年間でした。がそれもなくなり、普通に家族との団らんが出来る
いつもの年末年始でした。男の人が苦手なミノンもニイニは別。尻尾を振って大喜びしていました。
そんなニイニも2日の朝の高速バスで関西へと戻って行きました。ニイニを松山インターに送って行った後
娘と一緒に予約診察をしていたB先生の動物病院に.............
娘はB先生の動物病院に行くのは初めて。思い返せばミノンがB先生の動物病院に行く事になったのは2021年。コロナ禍に入ってからです。
カノンとミノンがずっとお世話になったA動物病院からB先生に代わる事になった経緯もまた時間があれば書こうと思います。
B先生の事は、今でも尊敬出来るいい先生だと思って感謝しています。
お正月休みに関わらず診察レーザー治療をして頂き、大学病院での検査の予約を入れてよいかの確認をして頂き
お願いして帰りました。
心臓の音も聞いて頂き、相変わらず雑音はあるけど今のところ大丈との事。
食欲が落ちてきていることが唯一気がかりだけど...................
いつもは他の患者さんで一杯だけど、予約診察なので他の患者さんもいないから待合室を歩くミノンの動画も先生が撮って下さいました。やっぱり右後ろ脚をひきずって歩いていました。
後は大学病院からの返事の電話を待つのみ。
何でもそうですが、待ってる時間は長く感じます。
賑やかだった正月休みも終わり、娘も関西方面に帰っていき、5日からミノンのお留守番生活の再開。
レーザー治療に5日(金)夕方に行き、待ちきれなくなり
私: 『先生。大学病院からはいつ電話がありますかね???』っとお聞きすると
K先生: 『大学病院の年末年始の休みは長いから、きっと9日火曜日には連絡があると思う』って言ってくださいました。
この時の私は、心臓の事はあまり心配してなくて、ただただ脚の麻痺の原因の事ばかり心配していました。
ミノンはもともと僧帽弁閉鎖不全症があり、2年前にステージB1との診断を受けています。まだ投薬治療も始めていませんし
半年に一度の定期健診で良いと言われていました。昨年10月に心臓ドッグを受けたので、今年の4月の検診予約をそろそろいれようかな???なんて思っていました。
お勤めの方や学生さんは6日、7日、8日は3連休です。
B先生の動物病院は、6日土曜日は普段通り診察。7日日曜日は午前中完全予約診察。月曜日(成人の日)は、午前中のみ診察。
この3連休に大変な事が起こるなんて・・・・・・・・・・・・・・・・(-_-;)(-_-;)(-_-;)
次回に続きます
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昨日は2024年1月24日(水)定休日で2つの動物病院に行ってきました。
かかりつけの動物病院とまた後日登場するミノンの命の恩人である砥部町にある動物病院のO先生のところです。
そして、このO先生に『看取りの覚悟はしておいてね』と言われました。
多分いつもの私だったら大泣きして取り乱してしまうところだけれど、『そう言う決断をしたってことなんんだ』って納得し自分でも驚くほど冷静でいられました。
話が前後して分かりにくいですがここからが前回の続きです。
ミノン闘病記 ?
早めのクリスマスパーティの為に帰郷してくれた娘っちの姿をみるとテンションがマックス。
元気アピールをするため家の中を走り廻る、絶対安静の指示なんておかまいなしです。
娘っちとふたりで『ダメ〜〜〜〜〜』っとミノンを追っかけ廻す事数回。その中でジャンプした姿には特に驚きました。
歳をとってからはテチテチ歩いていたので................まさかこんなに華麗なジャンプができるとは???
きっとお薬とレーザー治療がものすごく効いているんだと、ほっと胸を撫でおろしたのですが................
娘っちが県外に戻っていくと同時に、レーザー治療の効き目も切れたようにまた右後ろ脚を引きずってよろけながら歩いたり
ナックリングをしたりの姿に..............ネーネに元気なところ見せたかったんだね😢
1週間後の検診で『レーザー治療とお薬飲んだ後の3日間は10歳位若返ったほど、体が軽やかでした』って主治医のK先生にお伝えすると 『10歳も..........』『それは凄い』って動物看護士さんと目を合わせて笑っておられました。
後で考えると、私の中の10歳の若返りは人間の10歳だったけど、犬年齢の10歳なら4歳まで若返ったって事だものな〜〜〜
この飼い主はとんでもないあんぽんたんだって思われたに違いない................. 自分のあんぽんたん発言に自分でも笑ってしまいました。
そこから、3日に一度か4日に一度。動物病院に週2回のレーザー治療に通う日々が続きました。
年末までには、後ろ右足の麻痺もとれるだろうと考えていたのですが、食欲も落ちてきた上、歩き方が益々おかしくなってきました。
K先生に家での歩き方の動画を撮ってきてって言われ、何とかその変な歩き方の動画をみせると、先生の顔も少し曇り
K先生:『年末も来れるだけレーザー治療に来て!!年始も2日に診るから連れて来れる???』
内科治療にあまり反応しなくなって、先生も私も不安になった2023年末です。
年末治療最終日に、大学病院でこの麻痺の正体を明らかにするのはどうだろうかとの提案がありました。
脊髄腫瘍の手術をしてもらった大学病院での、MRI 検査とCT検査をするのです。
私:『ミノンは心臓の弁膜症があるけど全身麻酔は大丈でしょうか???』....................
K先生:『絶対とは言えないけどミノンちゃんの心臓はまだそれほど悪くないから心配ないと思うよ』
私:『ではお願いします』
K先生 :『予約を入れようと思うけど大学病院も年末年始のお休みがあるから、年明けしばらくの間大学からの返事を待ってみてね』
不安は残るものの年始も休診中にも関わらず予約で診て頂けるという対応に感謝しながら年越しをしたのでした。
次回に続く.........................
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